経営理念をつくろう…。すべてのスタートは経営理念から始まる…。
経営理念の作り方…。経営理念がなければ、経営はできない…。
理念型経営を始めよう…。経営理念を勉強しよう…。
このように、ビジネスをおこなうにあたって経営理念の重要性というものが、世の中では叫ばれています。おそらくビジネスを成功させた経営者が、このようなことを指導し始めたからでしょう。
しかし、経営理念というものは作るべきようなものではありません。経営理念などというものを意図的に作ろうとするからこそ、あなたのビジネスは成功しないのです。
もちろん「経営理念は一切不要だ!」とは言いません。しかし、「経営理念を作る」という考え方が、そもそも成功できない人の典型的な考え方なのです。
では、いったいどうしてそのように言えるのでしょうか? どうして「経営理念を作る」という考え方が成功できない人の典型的な考え方なのでしょうか?
そこで今回の記事では、経営理念に関してのいくつかの解説をおこなっていきたいと思います。
今回の記事を読むことで「本物の経営理念とは何か」や「経営理念を作ることよりも先にするべきこと」を知ることができます。
目次
経営理念を作ろうとした時点で、ビジネスは成功しない
あなたは、経営理念を作っていますか? それとも、これから作ろうとしていますか?
経営やビジネスの世界では、経営理念というものがとても大切なもののように思われています。
そのせいもあってか、「経営理念の作り方」や「最高の経営理念を作ろう」などといったセミナーや書籍がたくさん存在します。そして挙げ句の果てには、経営理念を中心に指導するコンサルタントもいるほどなのです。
しかし、「経営理念を作ろう!」と考えた時点で、あなたのビジネスが成功することはありません。
では、どうしてそのようなことが言えるのでしょうか?
それは「経営理念を作って…」と言っている時点で、お客の立場をすでに無視してしまっているからです。「経営理念を作る」という考え方は、そもそもお客の立場ではありません。経営者の立場です。
Bizdomでは何度も解説していますが、ビジネスというものはお客がいて初めて、成り立つものです。決して、経営者が主役ではありません。経営者であるあなたがどうしたいのかということよりも、お客がどうしたいのかの方が重要なのです。
たとえば、あなたの経営理念が世界一素晴らしかったとしても、あなたの扱う商品をお客が欲しいと思わなければ、その時点でビジネスは成功しません。
あなたの経営理念がどれだけ高尚なものでも、お客が欲しいと思える価格でなければ、ビジネスは成功しないのです。
つまり、お客というのはあなたの経営理念とは何も関係なく、自分の欲しい商品を購入しているということです。
だとすると、ビジネスを成功させるために必要なこととは、経営理念ではなく、お客がどのような商品を欲しがっていて、それがいくらだったら買うのかを知ることです。
もっと分かりやすく言うと、お客がどのような生活をしていて、その生活のうえでどのようなことに困っていて、あるいはどのようなことを求めていて、それをいくらだったら買うことができるのかということを知ることが、ビジネスを成功させるために必要なことなのです。
このように、お客の生活についての理解がなければ、どれだけ素晴らしい経営理念を持っていても、ビジネスを成功させることはできません。
よって、ビジネスを成功させる上で大事なことは、経営理念ではなくお客の生活理念だということになるのです。
だったら経営者には、経営理念などというものを作るための勉強をする暇など、どこにもないはずです。そんなものに時間を使う暇があるのなら、お客の生活を知るための勉強をするべきです。
世の中のコンサルタントは、「経営理念がなければビジネスは成功しない!」などと言いますが、それは錯覚であり勘違いです。なぜなら、経営理念が一切なくても、お客の欲しい商品がお客の買える価格で売っていれば、お客は絶対に買いにくるからです。
逆に、たとえ経営理念があったとしても、お客が欲しい商品がない、お客が買える価格でないという時点で、お客は買わないのです。
つまり、経営理念というものは経営者のお題目勉強にしか過ぎません。なぜなら、あってもなくても、お客にとっては直接的に関係のないものだからです。お客にとって関係のあるものは、自分の生活を満たしてくれる商品とその価格だけだからです。
だったら、経営者であるあなたがやるべき勉強というのは、お客の生活とそのお客の生活を満たすには、どんな商品を扱えば良いのか、そして、それはいくらだったら買えるのかということです。
そして、それを実現するためには何をすれば良いのかということを学ぶことが、経営者がやるべき勉強なのです。
それなのに、こんな重要な勉強はほったらかしにして、経営理念などという訳の分からないお題目勉強をしているから、お客が来ず、売上が上がらず、ビジネスが成功しないのです。
もちろん、経営理念がまったく不要だとは言っていません。しかし、売上高が100億円すらいっていない会社が、そんな勉強をしている暇などないと言っているのです。
まずは、「お客がどのような生活をしているのか」ということ、つまり、お客の生活理念を勉強してください。そして、本当にお客に役立つことをしてください。そうすれば、あなたの経営理念とは関係なく、勝手に規模は拡大していきます。
そして、その規模ができれば(目安は100億円です)、その時になって初めて経営理念というものを勉強すればいいのです。それまでは、経営理念を学ぶなど時期尚早なのです。
経営理念とは、意図的に作るようなチンケなものではありません
また、あなたに分かってもらいたいことが、「経営理念を作る」という発想そのものがおかしいということです。
世の中には「経営理念の作り方」や「最高の経営理念を作る方法」という書籍やセミナーがたくさんありますが、そもそもそんなものが存在すること自体、おかしな話なのです。
では、いったいどうしてそのようなことが言えるのかというと、経営理念というものは意図的に作るようなものではないからです。もっと言うと、経営理念というものは、経営理念の作り方を勉強したり、「作ろう!」と思って作れるような代物ではないのです。
はっきり言ってしまうと、意図的に作らなければできない経営理念など、経営理念とは言いません。それは嘘ものの経営理念です。もっとむかつく言い方をすると、意図的に作らなければできない経営理念など、「鼻くそ」みたいなものなのです。
そんな作られた、しょうもない経営理念を持ったとしても、経営には何の役にも立ちません。意図的に作られた嘘ものの経営理念ほど、この世で役に立たないものはないのです。
本物の経営理念とは何か?
では、本物の経営理念とはいったい何でしょうか?
それは、心の底から本当に湧き出てくるものです。経営理念の作り方を学ばなくても、経営理念を作ろうとしなくても、自然と心から出てくるものなのです。
では、その本物の経営理念というのは、どのようにして湧き出てくるのかと言うと、あなたの欲望が満たされ、あなたの生活が満たされ、あなた自身に余裕が出てきた時に初めて出てくるものです。
たとえば経営を成功させ、自分と自分の家族が食べることができ、自分の社員も食べさせることができ、心の余裕ができた時に以下のようなことを思うようになります。
「今、自分がこの状態になれているのは、お客のおかげ。お客がいなければどうなっていたことか…。つまり、すべてはお客のおかげということになる。だったら、感謝の気持ちを込めて、本当にお客の役に立つこと、お客の困っていることを解決することにしよう。」
このように、自然と心から湧き出てきたものを本物の経営理念と言うのです。
自分もちゃんと食べられず、自分の家族も社員も食べさせられずに、毎日が資金繰りで苦しみ、毎日が仕事で疲れ、毎日が気が重くなるような経営者から、本物の経営理念というものが湧き出てくるはずがありません。
どれだけ経営理念の作り方を学んでも、どれだけ時間をかけて作ろうとしても、そんな状態では、本物の経営理念など出てくるはずがないのです。
人間が自分以外の他人のことを本気で考えることができ始めるのは、自分自身が満足し、自分の生活が満たされた時です。その時になって初めて、心の中から湧き出してきたものこそが、本物の経営理念なのです。
毎日のように資金繰りのことで頭がいっぱいで、売上が上がらないことに悩んでいる人間には到底たどりつけない領域です。
何度も繰り返して申し訳ないのですが、経営理念というものは、「経営理念の作り方」というものを学んで出てくるようなチンケなものではありません。そんなもので出てくる経営理念など、嘘ものの経営理念です。
本物の経営理念というものは、わざわざ学ばなくても自ずと心の底から出てくるようなものなのです。
本物の経営理念を手に入れるためにするべきこととは?
では、この本物の経営理念というものを手に入れるためには、どうすればいいのでしょうか?
それにはまず、他人のことを考られることができるような状態にならなければなりません。つまり、さきほども言ったように自分自身が満たされ、自分に余裕が出てくる状態にならなければならないのです。
そして、そのためには何をするべきかと言うと「稼ぐこと」です。経営者であるあなた自身が、ビジネスでしっかりと稼ぎ、自分自身の私利私欲をすべて満たすことです。
人間というのは、私利私欲が満たされた時に初めて、自分以外の他人のことを本気で考えられるようになります。つまり、本物の経営理念のスタートは、あなた自身が稼ぎ、私利私欲を満たすことから始まるのです。
これができなければ、本物の経営理念など出てくるわけがありません。
だから、あなたが本物の経営理念を手に入れたいのであれば稼いでください。何よりもそれが先です。経営理念の勉強をする前に、本物の経営理念が自然と湧き出る環境を、ビジネスで稼いで作ってください。
その環境さえもできないのに、経営理念などというものを意図的に作ろうとしても、絶対に作れません。たとえ作れたとしても、ばったもんのチンケな経営理念になってしまうのです。
そして、ばったもんのチンケな経営理念だからこそ本気になれず、いつまで経ってもそれにコミットできないから、実現することができないのです。
「人の役に立ちたい」と思った時には、いったい何が必要か?
本物の経営理念を生み出すためには稼ぐことが必要だと解説しました。ビジネスでしっかりと稼ぎ、私利私欲を満たし、自分自身が満足すれば必ずと言っていいほど、本物の経営理念は生まれてきます。
つまり、最初から経営理念が決まってビジネスをするのではなくて、ビジネスがある程度成功した結果、心の底から出てくるものが本物の経営理念だということなのです。
この時になって初めて、あなたの人生をかけられる仕事のテーマが出てくるのです。
また、経営者には共通して「社会貢献がしたい!」と思う方も多いのですが、この「社会貢献」というものも同じです。社会貢献をしたいと思い始めるのは、自分自身が本当に満たされた時なのです。自分自身が満たされなければ、本当の意味での社会貢献などできません。
というかそもそもの話、社会貢献とは「人の役に立ちたい!」や「人を助けたい!」というものですが、それを実現するために必要なものがいったい何か、あなたは知っていますか?
まさか、「気持ち」「想い」「熱意」「奉仕」「情熱」といったものだと思っていませんか?
はっきり言っておきますが、それはまったくの誤解です。そんな形もないふわっとしたもので、社会貢献を実現させることなどできるわけがないのです。
では、社会貢献を実現するためには、いったい何が必要なのでしょうか?
それは「お金」です。「お金」がなければ、社会貢献などできるわけがありません。なぜか世の中では、「気持ちがあればできる!」と言う人がいますが、お金がなければ社会貢献などできるわけがないのです。
もちろん、独りよがりの社会貢献はできるかもしません。いわゆる、自己満足の社会貢献です。しかし、本当に人の役に立つ社会貢献というのはお金がなくてできるわけがないのです。
たとえば、「落ち葉拾いをして社会貢献!」や「ゴミ拾いをして社会貢献!」というようなことを言う人がいますが、こんなものは社会貢献とは言いません。
なぜなら、こんなことをしても、本当の意味で救われる人など誰一人としていないからです。
あなたが落ち葉拾いをしたからといって、誰かを救えますか? あなたがゴミ拾いをしたからといって、世界で救われていない子供たちを救えますか?
絶対に救えません。そんなもので、人を救えるわけがないのです。それはただの気持ちだけなのです。
でも、そんなものに時間を使うのをやめて、その時間をお金を稼ぐために使い、その稼いだお金をたった100万円でも渡す(寄付する)ことによって、世界で貧困に苦しんでいる子供を救うことができるのです。
あのwindowsを作ったマイクロソフトのビルゲイツを見てください。ビルゲイツの総資産は9兆円を超えていますが、その95%をアフリカなどの発展途上国の慈善活動に使っています。
そしてその結果、私たちのような凡人では想像できないくらいの人々を救っているのです。おそくらこれからも、より多くの人々を救うことになるのでしょう。
そして、その「救う手段」というのは、これから先もずっと心や気持ちではなく「お金」なのです。
「人の役に立つ」や「人を救う」とは、このレベルの話です。社会貢献というのはこういう意味なのです。お金があってこそできるものなのです。
冷たい言い方をすると、金もないやつが「心」とか「気持ち」というわけのわからないもので、人を救えるわけがないということなのです。「心」や「気持ち」ほど、役に立たないものはありません。
ここまで読んで「いや、人間の力で救えるんだ!」と思う人がいると思いますが、それはただのうぬぼれです。自分の力が素晴らしいと勘違いしている証拠なのです。金の力よりも、自分の力の方が素晴らしいと思っている、とんだ勘違いなのです。
たとえば、あなたの大切な仲間が病気になり、その治療に多額の費用が必要になるとします。
その時に、あなたもその仲間もお金を持っていない場合、あなたの「心」や「気持ち」で、その人を救うことができるのですか? 「病気よ、治れー!」と気持ちを込めて願い続ければ、その仲間の病気は治るのですか?
治るわけがありませんよね。病院でしっかりと治療してもらわなければ治りません。でも、お金がなければ、その治療ができないのです。つまり、どれだけ気持ちがあって仲間のことを思っていても、お金が無いせいで自分の大切な仲間さえも救えなくなるのです。
もしこれが、気持ちを込めて願わないけれども、「お金がないなら自分が出す!」と言って、さっと1,000万円を渡せば、自分の大切な仲間を救うことができます。つまり、気持ちは込めないが、1,000万円を黙って渡す人の方が、結果的には人を救うということなのです。
これがいったい何を意味するのかというと、人間の気持ちや心というものよりも、お金の方が人を救う力があるということなのです。これに比べて、人間の気持ちや心というものほど、役に立たないものはありません。
「人を救いたい!」や「人を助けたい!」とどれだけ叫んでも、あなたにお金がなければ人を救うことなどできません。こんなことは当たり前のことなのです。しごく当然のことなのです。
だから、「人の役に立ちたい!」や「人を救いたい!」「社会貢献がしたい!」と思うのなら、ぐちゃぐちゃきれいごとを言う前に、経営者や起業家であるあなたが「おもいっきり金を稼いでこい!」という話なのです。
もう一度言います。本当に人を救ったり、社会貢献をしたいなら、お金がなければできません。だから、ぐずぐず言う前に、あなたがお金を稼いできてください。
それができないなら、本当の意味での社会貢献などできないのできっぱりと諦めてください。聖人君主ぶって、できもしない社会貢献を考えないでください。
日本はいつの間にか、きれいごとしか言わない国に成り下がった
やはりお金がなければ、人を救うことも人の役に立つことも、人を助けることもできません。心や気持ちというものが生きてくるのは、「お金」というものの大前提があってからの話なのです。心や気持ちだけでは、何もできません。
これが事実なのです。
それなのに、なぜか日本では「気持ちがあればいい」や「心があればいい」「相手を思う心があればいい」というきれいごとが言われ始めました。
しかし、はっきり言ってしまえば、こういう「気持ち」や「心」というものほど、気持ちの入っていないものはありません。
言っている意味は分かりますか?
「気持ち」や「心」というものを使えば使うほど、”気持ちが入っていない” ということを証明しているということです。
もっと分かりやすく言うと、「気持ち」や「心」を表に出せば出すほど、「気持ち」や「心」がこもっていないことの証明だと言っているのです。
では、どうしてそのように言えるのかというと、「気持ち」や「心」というものは、どれだけ出しても、出した本人には何の痛みもないからです。
たとえば、誰かの誕生日の時に、誰よりも気持ちを込めて「おめでとう!本当におめでとう!」と、素晴らしい笑顔で祝いの言葉を目に涙を浮かべながら言っても、これは金銭的にも時間的にもまったく痛みがありません。
気持ちを込めることや笑顔というものはすべて無料でできることですから、そこに痛みなど一切伴わないのです。そして、痛みがないことが相手に分かるからこそ、気持ちが伝わらないのです。
もし、あなたが「本当におめでとうと思ってる。世界中の誰よりもおめでとうと思ってる。プレゼントはない。でも、大事なのは気持ちだから。」と言われて、「うんうん。この人は世界で一番、自分のことを思ってくれている。」と、思うのでしょうか?
思うわけがありませんよね。思った方がおかしいのです。
それよりは、あなたのことを思い、自分の血となり、肉となるはずだったお金をあなたのプレゼントのために使い、「おめでとう。」という言葉をひと言だけ添えてプレゼントをしてくれる人の方が、あなたからすれば「自分のことを思ってくれている」と思うのではないでしょうか。
もっと分かりやすく男女関係で言うと、「あなたのことが好きだ。世界中の誰よりもあいしてる。」という気持ちを伝えておきながら、一年に一回も会いに来なかったら、その気持ちを伝えれば伝えるほどそれが嘘っぽく見えてくるということなのです。
それよりも、そんな気持ちは出さずに、少しでも空いた時間に会いに行き、「会いたいから、会いに来た。」と言った方が、相手にはちゃんと気持ちが伝わるということなのです。
つまり、本当に気持ちや心があるかどうかを表せるのは、「気持ち」や「心」を口で伝えるのではなく、ましてや「心」や「気持ち」で思うことではなく、それを行動や形として、どう表現するかということなのです。
それがお金なのか、プレゼントなのか、会いに行くことなのかは、その時によりますが、行動や形としてそれを表現しなければ、どれだけ言葉で伝えても気持ちや心が伝わることはないのです。
「気持ち」や「心」が相手に伝わるのは、行動や形としてしっかりと表現した上で、それを伝えた時だけです。分かりやすく言うと、会いに行ったうえで「会いたかった」と言えば、その「会いたい」という気持ちはちゃんと伝わるということです。
しかし、会いにも行かずに、どれだけ口と心で「会いたい」という気持ちを伝えても、相手には伝わりません。
だからこそ、「気持ちがあればいい」や「心があればいい」というものほど、気持ちが伝わらないものはないし、チンケなものはないと言っているのです。
こんな大事なことを無視して、「気持ちがあれば…。心があれば…。」といったきれいごとしか言わなくなってしまったのがこの国です。
はっきり言ってしまうと、「気持ちがあればいい」や「心があればいい」と言っている人間こそ、世の中で一番、心や気持ちがない人種です。
なぜなら、相手の気持ちを、自分の時間やお金のかからない ”気持ち” という道具を使って満足させようというさもしい根性の持ち主だからです。
言っている意味は分かりますよね。
また、あなたはこのさもしい根性の持ち主ではないですよね。おそらく、それではないと思います。なぜなら、ここまで読み進めていますから。
あなたは本当に、社員のことを大切だと思っていますか?
今まで解説してきたことは、あまりビジネスとは関係ないように思うかもしませんが、ものすごくビジネスに関係があるのです。
なぜそのように言えるのかというと、伸びない経営者や成功しない経営者ほど、今解説してきたような傾向を持っているからです。要するに、気持ちや心を大事にするわりには、それが行動になっていなかったり、形になっていなかったりするのです。
たとえば、「社員が大切だ!」と言いながら、良い給料は出さず、サービス残業をさせながら、気持ちや心の代名詞である「ねぎらいの言葉」や「部下の上手な褒め方」という訳の分からない勉強をしているのです。
心や気持ちである「ねぎらいの言葉」や「部下の上手な褒め方」というのは、しっかりと形のあるもので評価して初めて生きてくるものです。
たいした給料も払わず、労働環境も悪いのに「ねぎらいの言葉」や「部下の上手な褒め方」という気持ちや心をアピールすることをしても、社員は喜びません。
社員が本当に喜ぶ時というのは、たとえば何かの成果を上げたときに「よくやってくれた!お前のおかげだ!ありがとう!」と言うのではなくて、それに対する報酬をしっかりと渡し、「なんですか、これ?」と聞かれた時に、「お前のおかげで成果が出たからだ。いつもありがとう。」と言った時なのです。
社員に何もやらずに言葉や気持ちを使っても、「そんなもの要らないから、報酬くれよ!」と社員に思われるのがオチです。
たまに、報酬もろくに払わないくせに、どこかの勉強会で「花束をあげよう!」などということを勉強して、本当に花束をあげてしまうな経営者もいるくらいです。
しかし、花束で喜ぶのはちゃんと報酬を払われている時だけです。ちゃんと報酬が払われたうえで、感謝の気持ちとして花束を渡すと喜ばれますが、報酬もないのに花束を渡しても、「うちの社長はなめとるんか!」と思われてしまうのです。
もし本当に社員のことを大切に思っていれば、こんなテクニックのようなものは使わないはずです。本当に社員のことを大切に思っていれば、報酬という形でちゃんと評価するはずです。
それをしていないということは、本当は社員のことなど大切に思っていないということなのです。あなたがいくら「そんなことはない!」と思っていても、行動や形としてそれが示されていなければ、相手や周りがそのように見てしまいます。
気持ちや心があるかどうかは、すべて相手が決めます。あなたがどれだけ気持ちや心を込めても、相手がそう思わなければ、気持ちや心がないということになってしまうのです。
だから、気持ちや心を出すよりも先に、行動や形として相手に見えるような形で示す必要あるのです。それをした時に初めて気持ちや心を出せば、本当に「気持ち」や「心」というものがあると思ってもらえるのです。
あなたは本当に、お客のことを大切だと思っていますか?
また、伸びない経営者ほど「お客が大切だ!」や「お客様のために!」と、口では言っておきながら、お客のために本当の努力をやっていません。行動や形として見れば、お客のためにやっていないことが丸わかりなのです。
たとえば、「お客様のために!」と言っておきながら、「どうすれば売れるか?」という売るためのテクニックを勉強している経営者がいます。
お客が要らない商品であるのにも関わらず、それをどう売ればいいかという勉強をしているのです。
もうこの時点で「お客さまのために」というものが、行動に出ていないのが丸わかりです。そして行動として出ていないからこそ、結局はお客のためにできずにお客が来ないのです。
本当にお客が大切だと思っている場合は、「どうすれば売れるか?」などということを勉強することはありません。「どんな商品で、いくらだったらお客は喜んでくれるか?」ということしか考えないはずです。
もちろん、「どんな商品で、いくらだったらお客は喜ぶか?」ということを考えているだけでは、お客を大切だと思っていることにはなりません。
それを実現できるための努力をした結果、お客が欲しい商品を、お客が買える価格で実際に提供ができた時に、本当にお客を大切だと思っていることになるのです。
お客にとって大切なことは、「お客を思う気持ち」でも「お客を思う心」でもありません。お客を思っているという状態が、行動の結果としてお客の目の前に提示されていることなのです。商品や価格という目に見える形として、お客の目の前に提示されていることなのです。
あなたがどれだけお客のことを思っていても、あなたがどれだけお客を思う気持ちや心を持っていても、それがお客の目に見える形になっていなければ、その気持ちや心は一切伝わらないということなのです。
「お客のために商品は安くした方がいい!」という気持ちがあっても、実際に商品を安く提供できなければ、その「気持ち」が伝わることはないということです。
だからこそ大事なことは、「心」や「気持ち」ではなく、それが行動や形として実現できているかどうかなのです。
これがコトの本質なのに、「気持ちあれば…。心があれば…。」というような、むしろ「心」も「気持ち」もないようなことを素晴らしいものだと勘違いしている人が多いのです。
それがお坊さんや宗教家ならいいのですが、経営者や起業家でそんなことを言ってしまう人が本当に多いのです。そういう経営者や起業家ほど、ビジネスがうまくいかないのは当然のことなのです。
最後に…
今回の記事では「経営理念」について解説しました。また、人間においてもビジネスにおいても、大事なことはすべて行動であり、形であるということも解説しました。
「心」や「気持ち」が大事なことはもちろんですが、「心」や「気持ち」があるだけではダメです。その「心」や「気持ち」が目に見える形や行動として表現されていなければ、それが相手に伝わることはありません。
たとえば、「お客のことを思ったら提供時間を早めた方がいい」という思いがあるが、それが実際の行動としてできずに提供時間が遅ければ、その思いはお客に一切伝わらないのです。
あなたの「気持ち」や「心」があるかどうかは、あなた自身が決めることではありません。相手が決めることです。だから、相手に見える形や行動で表現する必要があるのです。
特にビジネスでは、これが非常に重要なのです。
だからこそビジネスにおいては、そのお客を思う「気持ち」や「心」を表現できるような技術や知識を学ぶべきなのです。
これを本当の「経営努力」と言うのです。
経営理念の作り方を学ぶことは、経営努力とは言いません。お客が欲しい商品を、お客が買える価格で提供できるにはどうすればいいかという知識や技術を学ぶことを経営努力と言うのです。
いい加減、意図的に作られた嘘ものの経営理念の作り方を勉強するよりも、お客の生活理念をあなたの手で実現する本物の経営の勉強をしてください。
そうしなければ、いずれあなたのビジネスはお客に支持されなくなり、消滅していってしまいます。いや、むしろすでに消滅に向かい始めているのではないですか?
本物の経営の勉強を始めた経営者は今、小さな成功を手に入れ、より大きな成功をつかむために歩き出しています。そのような人たちがたくさんいるのに、あなたはいつまで経っても訳の分からない勉強をしていていいのですか?
自分の未来をしっかりと考えて、本物の経営を勉強するのか、それとも意図的なうわっつらのテクニックを勉強するのかを決めてください。